石原 次郎(いしはら じろう)は、下野宇都宮藩の藩士。明治時代の教育家。宇都宮藩家老の石原琢磨の次男。安政4年(1857年)に藩主・戸田忠恕の側役となる。慶応元年(1865年)には隠居となった忠恕の側近として仕え、大殿様御広間御番頭に任命される。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では忠恕の跡を継いでいた藩主・忠友の妻女を守って避難している。明治2年(1869年)に権少参事に、明治3年(1870年)に少参事に、明治4年(1871年)に廃藩立県事務取扱に任命された。その後、塩谷郡館野川村に移住し、寺子屋である責善館を開いた。明治6年(1873年)に宇都宮県第7大......
石原 次郎(いしはら じろう)は、下野宇都宮藩の藩士。明治時代の教育家。宇都宮藩家老の石原琢磨の次男。安政4年(1857年)に藩主・戸田忠恕の側役となる。慶応元年(1865年)には隠居となった忠恕の側近として仕え、大殿様御広間御番頭に任命される。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では忠恕の跡を継いでいた藩主・忠友の妻女を守って避難している。明治2年(1869年)に権少参事に、明治3......