百井塘雨(ももいとうう、生年不明 - 寛政6年(1794年))は、江戸時代中期の旅行家。塘雨は雅号で実名は定雄。左右二(そうじ)を通名とし、俳号は五井。紀行『笈埃随筆(きゅうあいずいひつ)』で知られる。京都室町の豪商、万家(よろづや)の次男に生まれたが、兄が家督を継いだ為に、商人として身を立ててもその兄に並ぶ程富裕になれる筈もなく、「及(およば)ぬことを求(もとめ)んより」も好きな「名山勝槩(めいざんしょうがい、名所と勝景)をたのしむにしくはなし」と僅かな金子を携え、笈を背負った六部(ろくぶ)の姿に身を窶して日本回国の旅に出立した、一旦帰京の後、安永初年か......
百井塘雨(ももいとうう、生年不明 - 寛政6年(1794年))は、江戸時代中期の旅行家。塘雨は雅号で実名は定雄。左右二(そうじ)を通名とし、俳号は五井。紀行『笈埃随筆(きゅうあいずいひつ)』で知られる。京都室町の豪商、万家(よろづや)の次男に生まれたが、兄が家督を継いだ為に、商人として身を立ててもその兄に並ぶ程富裕になれる筈もなく、「及(およば)ぬことを求(もとめ)んより」も好き......