田辺 権太夫(たなべ ごんだゆう)は、山城淀藩の家老。諱は信尚(のぶひさ)。12歳のときに家督を継いで稲葉正守に仕えた。その後は稲葉正誼、稲葉正邦に仕えた。27歳のとき、淀藩における士風の弱体化を嘆いて藩上層部に武芸の奨励を訴えたが黙殺された。しかしこの訴えが正邦の目にとまり、安政4年(1857年)に城代家老に取り立てられて2000石を領した。元治元年(1864年)の天狗党の乱では淀藩の分散所領である下総で養成していた農民兵を率いて鎮圧に務めた。正邦は幕末に老中を務めた佐幕派であるが、田辺は時代の趨勢を悟って慶応2年(1866年)の第2次長州征伐には反対し......
田辺 権太夫(たなべ ごんだゆう)は、山城淀藩の家老。諱は信尚(のぶひさ)。12歳のときに家督を継いで稲葉正守に仕えた。その後は稲葉正誼、稲葉正邦に仕えた。27歳のとき、淀藩における士風の弱体化を嘆いて藩上層部に武芸の奨励を訴えたが黙殺された。しかしこの訴えが正邦の目にとまり、安政4年(1857年)に城代家老に取り立てられて2000石を領した。元治元年(1864年)の天狗党の乱で......