田 文(でん・ぶん、生没年不詳)は、魏の宰相。斉の孟嘗君とは別人である。父は魏の文侯の師であった田子方。父と同じく著名な儒家であったという。子方は文侯の家臣ではなく賓客として一生を終えており、息子の田文の代でようやく魏に仕官した。文侯が死去して武侯が即位した後、宰相の李克も死去した。このため、武侯は新宰相として田文を任命した。しかし文侯の時代に功臣として働いた呉起は不満だった。このため、呉起は田文と論戦を挑んだ。「三軍の将として士卒を喜んで死地へ赴かせ、敵国にあえて我が魏をたばからせないようにする点で、お手前と私ではどちらが上か?」という呉起の質問に「私は......
田 文(でん・ぶん、生没年不詳)は、魏の宰相。斉の孟嘗君とは別人である。父は魏の文侯の師であった田子方。父と同じく著名な儒家であったという。子方は文侯の家臣ではなく賓客として一生を終えており、息子の田文の代でようやく魏に仕官した。文侯が死去して武侯が即位した後、宰相の李克も死去した。このため、武侯は新宰相として田文を任命した。しかし文侯の時代に功臣として働いた呉起は不満だった。こ......