田中 愿蔵(たなか げんぞう、天保15年(1844年) - 元治元年10月16日(1864年11月15日))は水戸藩天狗党の幹部。常陸国久慈郡東連地村(現・茨城県常陸太田市)で生まれ、医家の養子となる。藩校弘道館、江戸の昌平坂学問所で学んだ後、水戸藩が那珂郡野口村に設立した郷校の時雍館(野口郷校)で館長を務め、領民の教育活動を行う。元治元年3月27日(1864年5月2日)藤田小四郎が尊王攘夷を唱え筑波山で挙兵すると(天狗党の乱)、時雍館の教え子らを率いてこれに加わり天狗党幹部となって一隊を指揮する。しかし、愿蔵は藤田らの本隊から離れ、別働隊として独自の行動......
田中 愿蔵(たなか げんぞう、天保15年(1844年) - 元治元年10月16日(1864年11月15日))は水戸藩天狗党の幹部。常陸国久慈郡東連地村(現・茨城県常陸太田市)で生まれ、医家の養子となる。藩校弘道館、江戸の昌平坂学問所で学んだ後、水戸藩が那珂郡野口村に設立した郷校の時雍館(野口郷校)で館長を務め、領民の教育活動を行う。元治元年3月27日(1864年5月2日)藤田小四......