王 阿従(おう あじゅう、''Wang Acong''、1777年 - 1797年)、清朝のプイ族の蜂起の指導者。王阿崇とも書く。貴州省南籠出身。幼時より武術を学び、巫術で人を治したことから囊仙(プイ語で仙女の意)と呼ばれた。1797年1月、プイ族が清朝に対して蜂起をおこすと、群衆は王阿従と韋阿信を指導者に選び、王阿従は皇仙娘娘と称した。群衆は数十万にも達し、地主の荘園を焼きながら普坪鎮に向かい、普坪鎮を攻め落とした。さらに蜂起軍は南籠府城を陥落させ、知府の曹廷奎は自殺した。その後蜂起軍は冊亨・興義・興仁・貞豊を攻略し、長順・恵水・織金を攻撃した。各地のプ......
王 阿従(おう あじゅう、''Wang Acong''、1777年 - 1797年)、清朝のプイ族の蜂起の指導者。王阿崇とも書く。貴州省南籠出身。幼時より武術を学び、巫術で人を治したことから囊仙(プイ語で仙女の意)と呼ばれた。1797年1月、プイ族が清朝に対して蜂起をおこすと、群衆は王阿従と韋阿信を指導者に選び、王阿従は皇仙娘娘と称した。群衆は数十万にも達し、地主の荘園を焼きなが......