狐島 吉次(きつねじま よしつぐ)、生没年不詳。戦国時代の武将。雑賀衆の1人。左衛門大夫。島本左衛門大夫と同一人物説がある。雑賀衆の一人で、雑賀水軍を率いた頭目。天正5年(1577年)3月、鈴木孫一と共に織田信長に抵抗するが、降伏する。だが、完全に降伏したわけではなく、引き続き本願寺に助力していた。顕如と教如が織田家への降伏を巡る対立では、吉次は教如を支持する。だが、孫一による教如派の土橋守重の謀殺や、教如が石山へ退去したことによって、織田家に降伏することとなった。
狐島 吉次(きつねじま よしつぐ)、生没年不詳。戦国時代の武将。雑賀衆の1人。左衛門大夫。島本左衛門大夫と同一人物説がある。雑賀衆の一人で、雑賀水軍を率いた頭目。天正5年(1577年)3月、鈴木孫一と共に織田信長に抵抗するが、降伏する。だが、完全に降伏したわけではなく、引き続き本願寺に助力していた。顕如と教如が織田家への降伏を巡る対立では、吉次は教如を支持する。だが、孫一による教......