烏帯(うだい、女真音;ウータイ、? - 1152年)は、金の皇族。第2代皇帝太宗の孫で、阿魯補の子。姓は完顔、漢名は宗言。熙宗の治世下で大理卿となる。同族の蕭王・乙卒(秉徳)や熙宗の婿・唐括弁らと共謀し、迪古乃(海陵王)を擁立すべく熙宗を殺害するという事件を起こした。この功績から、海陵王が即位すると平章政事となった。天徳2年(1150年)、今度は熙宗殺しの同志であった乙卒と叔父の阿魯(宗本)を謀反の罪で誣告し、乙卒と阿魯が海陵王によって処刑される事件を起こした。これにより右丞相に任ぜられると共に、乙卒の財産を私蔵し、また乙卒の娘を自分のものとしたという。そ......
烏帯(うだい、女真音;ウータイ、? - 1152年)は、金の皇族。第2代皇帝太宗の孫で、阿魯補の子。姓は完顔、漢名は宗言。熙宗の治世下で大理卿となる。同族の蕭王・乙卒(秉徳)や熙宗の婿・唐括弁らと共謀し、迪古乃(海陵王)を擁立すべく熙宗を殺害するという事件を起こした。この功績から、海陵王が即位すると平章政事となった。天徳2年(1150年)、今度は熙宗殺しの同志であった乙卒と叔父の......