滝田城(たきだじょう)は、安房国平群郡(現在の千葉県南房総市上滝田・下滝田付近)にあった日本の城である。平久里川中流域の標高140mの丘陵上にある。尾根伝いに約2km西には同じく里見氏の有力な城であった宮本城もあった。現在の千葉県道88号富津館山線にあたる「平群道」が城下を南北に走り、安房府中(館山)・稲村方面から房総半島内陸部を北上するルート上にあった。また、東西には前述の宮本城方面と朝夷郡方面を結ぶルートが走っていた。『快元僧都記』によれば、稲村の変の際には里見義豊の義弟とされる一色九郎が城主を務め、義豊側の拠点の1つであったとされ、通説では義豊の滅亡......
滝田城(たきだじょう)は、安房国平群郡(現在の千葉県南房総市上滝田・下滝田付近)にあった日本の城である。平久里川中流域の標高140mの丘陵上にある。尾根伝いに約2km西には同じく里見氏の有力な城であった宮本城もあった。現在の千葉県道88号富津館山線にあたる「平群道」が城下を南北に走り、安房府中(館山)・稲村方面から房総半島内陸部を北上するルート上にあった。また、東西には前述の宮本......