溝口 直正(みぞぐち なおまさ、安政2年2月25日(1855年4月11日) - 大正8年(1919年)10月17日)は、幕末維新期の大名。華族。越後新発田藩の第12代(最後)の藩主。第11代藩主溝口直溥の四男。幼名は誠之進。大名としての官位は従五位下伯耆守。維新後は伯爵。位階はのち従二位まで昇進した。母は側室で西村氏の娘。正室は旧近江大溝藩主分部光貞の娘久爾子、継室は某氏。
溝口 直正(みぞぐち なおまさ、安政2年2月25日(1855年4月11日) - 大正8年(1919年)10月17日)は、幕末維新期の大名。華族。越後新発田藩の第12代(最後)の藩主。第11代藩主溝口直溥の四男。幼名は誠之進。大名としての官位は従五位下伯耆守。維新後は伯爵。位階はのち従二位まで昇進した。母は側室で西村氏の娘。正室は旧近江大溝藩主分部光貞の娘久爾子、継室は某氏。