源 光宗(みなもと の みつむね、康治元年(1142年)頃 - 永暦元年(1160年))は、平安時代末期の武将。出雲守源光保の長男。兄弟に光盛、重子、土佐局(鳥羽天皇後宮)らがあり、子に宗保、兼綱がある。『尊卑分脈』による官位は従四位下、左衛門尉、伯耆守、備後守。また「木田」を号したとされる。鳥羽院の近臣であった光保の嫡子として久寿2年(1155年)に14歳で蔵人に補され、その後も順調に昇進を重ねた。光宗も父と同じく守仁親王(二条天皇)に近侍したと考えられ、平治元年(1159年)の平治の乱では父と行動を共にする。しかし、乱の後に反院政派の排除を進める後白河......
源 光宗(みなもと の みつむね、康治元年(1142年)頃 - 永暦元年(1160年))は、平安時代末期の武将。出雲守源光保の長男。兄弟に光盛、重子、土佐局(鳥羽天皇後宮)らがあり、子に宗保、兼綱がある。『尊卑分脈』による官位は従四位下、左衛門尉、伯耆守、備後守。また「木田」を号したとされる。鳥羽院の近臣であった光保の嫡子として久寿2年(1155年)に14歳で蔵人に補され、その後......