渋川 敬尹(しぶかわ ひろただ、元禄9年(1696年)-享保11年4月10日(1726年5月11日))は、江戸時代中期の江戸幕府天文方。通称右門。子に渋川則休・光洪。囲碁の家元安井家の三世安井知哲の次男として京都に生まれる。正徳5年(1715年)4月に伯父である初代天文方渋川春海の嫡男で2代目となっていた従兄の渋川昔尹が子の無いまま急逝し、隠居である春海も病気となった。そこで同年6月に急遽渋川家の家督と天文方を継ぐ。同年10月には春海も病没した。享保6年(1721年)に幕府に願出て、築地木挽町に500坪の土地を拝領し、駿河台から天文台を移転させて観測体制の......
渋川 敬尹(しぶかわ ひろただ、元禄9年(1696年)-享保11年4月10日(1726年5月11日))は、江戸時代中期の江戸幕府天文方。通称右門。子に渋川則休・光洪。囲碁の家元安井家の三世安井知哲の次男として京都に生まれる。正徳5年(1715年)4月に伯父である初代天文方渋川春海の嫡男で2代目となっていた従兄の渋川昔尹が子の無いまま急逝し、隠居である春海も病気となった。そこで同年......