画像引用元: upload.wikimedia.org済南事件
推定知名度10.41%15〜75歳男女
推定知名度10.8%20〜35歳男女
済南事件(さいなんじけん)は1928年(昭和3年)5月3日、中国山東省の済南における、国民革命軍の一部による日本人襲撃事件、および日本の権益と日本人居留民を保護するために派遣された日本軍(第二次山東出兵)と、北伐中であった蒋介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件。藤田栄介青島総領事は、南軍による組織的に計画された衝突と述べている。事件の中で、日本人居留民12名が殺害され、日本側の「膺懲」気運が高まって日本軍が3000人以上の中国人を殺害した。また、日本軍により旧山東交渉公署の蔡特派交渉員以下16名が殺害されたが、中国側はこれを重く見て、日本軍の「無抵抗の外交官殺害」を強く非難した。さらにこれを機に、日本軍は増派(第三次山東出兵)を決定した。衝突はいったん収まったものの、5月8日、軍事当局間の交渉が決裂。日本軍は司令部と城壁に限り、砲撃を開始。安全地帯と避難路を指定したため、南軍は夜陰に乗じて城外へ脱出し北伐を続行した。5月11日、日本軍は抵抗なく済南を占領した。中国側によれば、その際、中国軍民に数千人の死者が出たとされる。岩崎芳夫によると、蒋介石は後にこの事件を日本軍による北伐の妨害であったと非難したとされている。
