深井 好秀(ふかい よしひで)は、戦国時代から江戸時代前期の武将。関東を長尾景春の乱で戦国時代に導いたことで有名な下克上の雄である長尾景春の曾孫・深井景吉が父である。太田氏資に仕えてその偏諱を賜り資正と名乗ったが、のちに好秀と改名した。永禄10年(1567年)8月に氏資が三船山の戦いで戦死すると、養子の太田源五郎の後見を行ない、その早世後は養子の北条氏房に仕えた。氏房の下では粕壁(春日部)の代官を務めている。天正18年(1590年)に小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、好秀は新たな関東の領主となった徳川家康に拝謁したが出仕はせずに隠棲したまま、慶長9年(16......
深井 好秀(ふかい よしひで)は、戦国時代から江戸時代前期の武将。関東を長尾景春の乱で戦国時代に導いたことで有名な下克上の雄である長尾景春の曾孫・深井景吉が父である。太田氏資に仕えてその偏諱を賜り資正と名乗ったが、のちに好秀と改名した。永禄10年(1567年)8月に氏資が三船山の戦いで戦死すると、養子の太田源五郎の後見を行ない、その早世後は養子の北条氏房に仕えた。氏房の下では粕壁......