洪 仁玕(こう じんかん、1822年 - 1864年11月23日)は、清後期に発生した太平天国の乱の指導者の1人。広東省花県(現在の広州市花都区)の人。最高指導者洪秀全の族弟。名前の「カン」は「王へん」に「干」。太平天国の前身である拝上帝会のメンバーではあったが、決起そのものには消極的であった。洪秀全が金田蜂起を起こすと、合流を試みるが失敗し、香港のスウェーデン人宣教師テオドール・ハンバーグの下に身を寄せ、1853年に洗礼を受けた。洪秀全が南京を攻め落として「天京」と改名すると、上海に赴くが天京に行くことができず、香港に引き返した。ハンバーグの死後は、ロン......
洪 仁玕(こう じんかん、1822年 - 1864年11月23日)は、清後期に発生した太平天国の乱の指導者の1人。広東省花県(現在の広州市花都区)の人。最高指導者洪秀全の族弟。名前の「カン」は「王へん」に「干」。太平天国の前身である拝上帝会のメンバーではあったが、決起そのものには消極的であった。洪秀全が金田蜂起を起こすと、合流を試みるが失敗し、香港のスウェーデン人宣教師テオドール......