津久毛橋城(つくもはしじょう)は、日本の陸奥国栗原郡(現在の宮城県栗原市金成津久毛)にあった城である。1341年に北畠顕信が築いた。中世までの津久毛橋は、陸奥国を南北に通じる街道が三迫川をわたる交通上の要地であった。津久毛橋城は、南北朝時代の興国2年(1341年)9月に南朝の北畠顕信が築き、南への進出のための拠点としたものである。城は三迫川沿いの平地の北の端にある丘の上に築かれた。北朝からは石塔義房が迎撃に出て、翌年の戦いで顕信を退けた。
津久毛橋城(つくもはしじょう)は、日本の陸奥国栗原郡(現在の宮城県栗原市金成津久毛)にあった城である。1341年に北畠顕信が築いた。中世までの津久毛橋は、陸奥国を南北に通じる街道が三迫川をわたる交通上の要地であった。津久毛橋城は、南北朝時代の興国2年(1341年)9月に南朝の北畠顕信が築き、南への進出のための拠点としたものである。城は三迫川沿いの平地の北の端にある丘の上に築かれた......