江万里(こう ばんり、慶元4年(1198年)- 徳祐元年(1275年))は、南宋の政治家・儒学者。字は子遠。号は古心。現在の江西省都昌県の人。嘉定15年(1222年)、臨安の太学に推挙される。理宗にその見識を認められ、著作郎となり、後に各地の知事を歴任する。淳祐元年(1241年)、吉州(現在の江西省吉安市)の知事となった時に学校を興し、他州でも同様の事を行った。後に監察御史に転じたが剛直な性格が有力者の不興を買って官を退き、12年にわたって隠遁生活を送った。宝祐元年(1255年)、再び福建転運使として召されると、たまたま同地を視察中であった賈似道に気に入ら......
江万里(こう ばんり、慶元4年(1198年)- 徳祐元年(1275年))は、南宋の政治家・儒学者。字は子遠。号は古心。現在の江西省都昌県の人。嘉定15年(1222年)、臨安の太学に推挙される。理宗にその見識を認められ、著作郎となり、後に各地の知事を歴任する。淳祐元年(1241年)、吉州(現在の江西省吉安市)の知事となった時に学校を興し、他州でも同様の事を行った。後に監察御史に転じ......