水野 忠良(みずの ただなが)は、駿河沼津藩の第5代藩主。沼津藩水野家12代。天保5年(1834年)8月5日、第3代藩主水野忠義の五男として江戸外桜田屋敷で生まれる。天保15年(1844年)に兄で先代藩主の忠武が死去したため、その養子として家督を継ぐ。嘉永2年(1849年)12月16日には従五位下、出羽守に叙任された。幕末期の外国船出没による政情の中、戸田の警備や軍事力の強化を図ったが、これらの出費に加えて嘉永5年(1852年)、嘉永6年(1853年)の旱魃で1万石の甚大な被害を受けるなど、藩財政は逼迫した。安政5年(1858年)5月3日に死去した。享年2......
水野 忠良(みずの ただなが)は、駿河沼津藩の第5代藩主。沼津藩水野家12代。天保5年(1834年)8月5日、第3代藩主水野忠義の五男として江戸外桜田屋敷で生まれる。天保15年(1844年)に兄で先代藩主の忠武が死去したため、その養子として家督を継ぐ。嘉永2年(1849年)12月16日には従五位下、出羽守に叙任された。幕末期の外国船出没による政情の中、戸田の警備や軍事力の強化を図......