横田柳几(よこた りゅうき、享保元年(1716年) - 天明8年2月9日(1788年3月5日))は、江戸時代中期の俳人。鴻巣宿石橋町(現・鴻巣市本町6丁目)の酒造家に生まれ、これを生業とする。本名、横田盛英(八代目)。通称、三九郎。若い時より俳諧を学び、伊勢国の麦林舎中川乙由の門下となり、布袋庵の号を授けられる。のちにその高弟佐久間柳居に師事して、布袋庵柳几と号する。旅を好み、「つくば紀行」などの紀行文を残している。ほかに「百花集」、「大和耕作集」などの著書がある。宝暦3年(1763年)、芭蕉70年忌の追善興業で布袋庵に20数名が集まり、1日千句を詠んだ。......
横田柳几(よこた りゅうき、享保元年(1716年) - 天明8年2月9日(1788年3月5日))は、江戸時代中期の俳人。鴻巣宿石橋町(現・鴻巣市本町6丁目)の酒造家に生まれ、これを生業とする。本名、横田盛英(八代目)。通称、三九郎。若い時より俳諧を学び、伊勢国の麦林舎中川乙由の門下となり、布袋庵の号を授けられる。のちにその高弟佐久間柳居に師事して、布袋庵柳几と号する。旅を好み、「......