楽 間(がく かん、生没年未詳)は、燕の武将楽毅の子。楽毅が趙へ亡命した後に、恵王によって昌国君の爵位を継いだ。以降も恵王、武成王、孝王と3代の王に重用されたが、趙が秦に長平の戦いで惨敗した際に、燕の宰相栗腹は、孝王の子姞喜に対して趙への遠征を勧めたが、楽間は喜に「周りを敵国に囲まれている趙は兵だけでなく民も戦争に習熟しているので侮れない」として反対した。しかし、喜は趙に遠征したが趙将廉頗に敗れ、一族の楽乗と栗腹は趙の捕虜となった。これを聞いた楽間は楽乗を頼るために、趙に亡命した。そのまま、楽間は楽乗とともに趙にとどまり、武襄君に封じられた。その後、楽間は......
楽 間(がく かん、生没年未詳)は、燕の武将楽毅の子。楽毅が趙へ亡命した後に、恵王によって昌国君の爵位を継いだ。以降も恵王、武成王、孝王と3代の王に重用されたが、趙が秦に長平の戦いで惨敗した際に、燕の宰相栗腹は、孝王の子姞喜に対して趙への遠征を勧めたが、楽間は喜に「周りを敵国に囲まれている趙は兵だけでなく民も戦争に習熟しているので侮れない」として反対した。しかし、喜は趙に遠征した......