楽安公主(らくあんこうしゅ、1612年 - 1643年)は、明の泰昌帝の八女。姓諱は朱 徽媞(しゅ きてい)。母は李康妃。万暦38年(1610年)に、皇太子朱常洛(のちの泰昌帝)と選侍(皇子の側室)李氏(西李)の娘として生まれた。万暦48年または泰昌元年(1620年)、泰昌帝は即位の翌月に崩じ、子供たちを王や公主に封じることもできなかった。異母兄の天啓帝が代わって即位すると、朱徽媞は母と共に別宮へ追放されたが、後に呼び戻され、また長公主に封じられた。崇禎元年(1628年)、鞏永固に降嫁した。崇禎16年(1643年)、薨去した。戦乱のため葬儀は延期された。翌......
楽安公主(らくあんこうしゅ、1612年 - 1643年)は、明の泰昌帝の八女。姓諱は朱 徽媞(しゅ きてい)。母は李康妃。万暦38年(1610年)に、皇太子朱常洛(のちの泰昌帝)と選侍(皇子の側室)李氏(西李)の娘として生まれた。万暦48年または泰昌元年(1620年)、泰昌帝は即位の翌月に崩じ、子供たちを王や公主に封じることもできなかった。異母兄の天啓帝が代わって即位すると、朱徽......