楊 賜(よう し、? - 185年)は、後漢の驃騎将軍、司空、臨晋文烈侯。字は伯献(または伯猷)。「四世三公」や「四世太尉」として著名な弘農楊氏の出である。楊賜は祖父の楊震、父の楊秉、子の楊彪と同じく三公に至っている。また霊帝時代の国三老(郡国の国ではなく漢の三老、時期は異なるが、霊帝の時代では袁逢と楊賜の2人が三老)で、同時代最も影響力のある官僚の一人だった。霊帝の侍講になったことがあり、また楊氏ではじめて封爵された人物でもある。太尉楊秉の長子にあたり、若いころから家学の「欧陽尚書」を授けられた。大将軍梁冀に辟召されるが父同様、梁冀を嫌っていた事から陳倉......
楊 賜(よう し、? - 185年)は、後漢の驃騎将軍、司空、臨晋文烈侯。字は伯献(または伯猷)。「四世三公」や「四世太尉」として著名な弘農楊氏の出である。楊賜は祖父の楊震、父の楊秉、子の楊彪と同じく三公に至っている。また霊帝時代の国三老(郡国の国ではなく漢の三老、時期は異なるが、霊帝の時代では袁逢と楊賜の2人が三老)で、同時代最も影響力のある官僚の一人だった。霊帝の侍講になった......