桜山 茲俊(さくらやま これとし、生年不詳 - 元弘2年1月21日(1332年2月17日))は鎌倉時代末期の武将。通称は四郎。元弘の乱の際、楠木正成の挙兵に呼応する形で備後国一ノ宮にて挙兵し、一時は破竹の勢いを示すも、笠置山の戦いにおける官軍敗戦の報に部下は四散し、桜山軍は弱体化。吉備津宮で妻子を殺害後、一族郎党と共に自刃した。
桜山 茲俊(さくらやま これとし、生年不詳 - 元弘2年1月21日(1332年2月17日))は鎌倉時代末期の武将。通称は四郎。元弘の乱の際、楠木正成の挙兵に呼応する形で備後国一ノ宮にて挙兵し、一時は破竹の勢いを示すも、笠置山の戦いにおける官軍敗戦の報に部下は四散し、桜山軍は弱体化。吉備津宮で妻子を殺害後、一族郎党と共に自刃した。