根本 幽峨(ねもと ゆうが、文政7年(1824年) - 慶応2年11月11日(1866年12月17日))は、江戸時代後期の絵師。因幡国鳥取城下町の商家・砂田屋に生まれる。幼少の頃から絵を好み、凧、幟などに武者絵を描き、それを売ったりもした。やがて江戸に出て、鳥取藩絵師・沖一峨に師事して狩野派の画法を学び、さらに大和絵・浮世絵なども研究して数多くの大作・小品を描いた。弘化4年(1848年)に藩命により絵を献上し、安政5年(1858年)には、画技を認められて鳥取藩絵師として4人扶持で召し抱えられる。元治元年(1864年)、沖九皐(守固)の弟剛介が「堀庄次郎暗殺......
根本 幽峨(ねもと ゆうが、文政7年(1824年) - 慶応2年11月11日(1866年12月17日))は、江戸時代後期の絵師。因幡国鳥取城下町の商家・砂田屋に生まれる。幼少の頃から絵を好み、凧、幟などに武者絵を描き、それを売ったりもした。やがて江戸に出て、鳥取藩絵師・沖一峨に師事して狩野派の画法を学び、さらに大和絵・浮世絵なども研究して数多くの大作・小品を描いた。弘化4年(18......