松田 甚兵衛(まつだ じんべえ)は、江戸時代の江戸本所石川町の味噌醤油問屋である。松田屋は、もとは相模国松田氏傍流の武士で、後北条氏時代から丹沢鉱山に関わっていたが、本家の後北条氏筆頭家老松田憲秀の処断後、士を降り、江戸幕府創設とともに小田原から江戸に移って、幕府に直接融資する御用商人として、初代より銅座を兼ねていた。大阪銅座出張所として設置された本所清水町(現在の亀沢・石原の一部)の古銅吹所に加えて、1837年(天保8年)、本所横川町に新たに別段古銅吹所が創設されると、松田甚兵衛がその運営を引き受け、座人勤方となった。甚兵衛は、幕府から特許を得て、秋田や......
松田 甚兵衛(まつだ じんべえ)は、江戸時代の江戸本所石川町の味噌醤油問屋である。松田屋は、もとは相模国松田氏傍流の武士で、後北条氏時代から丹沢鉱山に関わっていたが、本家の後北条氏筆頭家老松田憲秀の処断後、士を降り、江戸幕府創設とともに小田原から江戸に移って、幕府に直接融資する御用商人として、初代より銅座を兼ねていた。大阪銅座出張所として設置された本所清水町(現在の亀沢・石原の一......