松平 忠泰(まつだいら ただやす、貞享元年(1684年) - 正徳2年9月26日(1712年10月26日))は、陸奥国桑折藩の嫡子。肥前国唐津藩主・松平乗久の九男。官位は従五位下、織部正。長兄で桑折藩を立藩した松平忠尚の養子となり、元禄13年(1700年)に徳川綱吉に初御目見した。しかし、家督を継ぐことなく正徳2年(1712年)に早世した。代わって、忠尚と忠泰の甥にあたる忠暁が嫡子となった。たたやすたたやすCategory:江戸時代の大名の嫡男Category:唐津藩の人物Category:1684年生Category:1712年没
松平 忠泰(まつだいら ただやす、貞享元年(1684年) - 正徳2年9月26日(1712年10月26日))は、陸奥国桑折藩の嫡子。肥前国唐津藩主・松平乗久の九男。官位は従五位下、織部正。長兄で桑折藩を立藩した松平忠尚の養子となり、元禄13年(1700年)に徳川綱吉に初御目見した。しかし、家督を継ぐことなく正徳2年(1712年)に早世した。代わって、忠尚と忠泰の甥にあたる忠暁が嫡......