松平 忠泰(まつだいら ただやす、元文2年(1737年) - 宝暦13年1月20日(1763年3月4日))は、伊勢国桑名藩の嫡子。第2代藩主・松平忠刻の長男。正室は松平武元の娘。官位は従五位下、豊後守。父・忠刻が桑名藩嫡子となる前に生まれ、父の藩主就任に伴って世子となる。宝暦7年(1757年)徳川家重に拝謁し叙任するが、家督を継ぐことなく宝暦13年(1763年)に早世した。代わって、弟の忠啓が嫡子となった。法名は天麟宗玉俊良院。たたやすCategory:江戸時代の大名の嫡男Category:桑名藩の人物Category:1737年生Category:176......
松平 忠泰(まつだいら ただやす、元文2年(1737年) - 宝暦13年1月20日(1763年3月4日))は、伊勢国桑名藩の嫡子。第2代藩主・松平忠刻の長男。正室は松平武元の娘。官位は従五位下、豊後守。父・忠刻が桑名藩嫡子となる前に生まれ、父の藩主就任に伴って世子となる。宝暦7年(1757年)徳川家重に拝謁し叙任するが、家督を継ぐことなく宝暦13年(1763年)に早世した。代わっ......