杉本 宗春院(すぎもと そうしゅんいん、明和7年(1770年) - 天保7年8月8日(1836年9月18日))は、江戸時代後期の幕府医官。字は子敬、名は良敬、良(りょう)、号は樗園(ちょえん)、通称は幸太郎、忠恩、仲温(ちゅうおん)。幕府医学館考証派を代表する儒医。幕府医官・宮村永顺受正の子息として生まれ、同じ医官・杉本良猷の養子となる。天明元年(1781年)家を継ぎ、杉本氏第六代となる。寛政6年(1794年)御番医師、同9年(1797年)西の丸侍医と累進し、同10年(1798年)転科を許され内科となる(杉本氏は外科の家柄であった)。文化5年(1808年)......
杉本 宗春院(すぎもと そうしゅんいん、明和7年(1770年) - 天保7年8月8日(1836年9月18日))は、江戸時代後期の幕府医官。字は子敬、名は良敬、良(りょう)、号は樗園(ちょえん)、通称は幸太郎、忠恩、仲温(ちゅうおん)。幕府医学館考証派を代表する儒医。幕府医官・宮村永顺受正の子息として生まれ、同じ医官・杉本良猷の養子となる。天明元年(1781年)家を継ぎ、杉本氏第六......