杉原 嘉中(すぎはら よしなか、? - 正徳3年5月12日(1713年6月4日))は、備中国足守藩の家老。山の手杉原家第3代当主。第2代当主杉原勝興の子。母は於雪(木下利当三女)。通称は一学。子に杉原中秀。寛文9年(1669年)1月15日に部屋住みで召し出され、150石を給わる。延宝3年(1675年)に父の跡目を継ぐ。しかし与えられた新知は400石であり、父の代より1000石以上も減らされたため、延宝6年(1678年)に暇をもらって伏見に移り住んだ。元禄元年(1688年)2月23日、藩主木下公定に懇願されて帰参し、翌日50人扶持を与えられる。同4年(169......
杉原 嘉中(すぎはら よしなか、? - 正徳3年5月12日(1713年6月4日))は、備中国足守藩の家老。山の手杉原家第3代当主。第2代当主杉原勝興の子。母は於雪(木下利当三女)。通称は一学。子に杉原中秀。寛文9年(1669年)1月15日に部屋住みで召し出され、150石を給わる。延宝3年(1675年)に父の跡目を継ぐ。しかし与えられた新知は400石であり、父の代より1000石以上......