朱 高燧(しゅ こうすい、1386年 - 1431年)は、明の皇族。趙簡王。明の第3代皇帝である永楽帝の3男。兄に朱高熾(のちの洪熙帝)と朱高煦がいる。子に朱瞻坺、朱瞻塙など。1404年に趙王に封じられるが、父から寵愛を受けていたため、北京に留まることを許された。長兄の朱高熾とは不仲で、次兄の朱高煦と仲が良かったという。このため朱高煦の朱高熾廃太子運動に協力して朱高熾を父にたびたび讒言した。だが、自らの家臣である孟賢が反乱を計画して捕縛されると、朱高燧も永楽帝より召還されて処刑を命じられた。しかし不仲だった朱高熾が懸命に弁護したため、永楽帝は罪を許し、以後......
朱 高燧(しゅ こうすい、1386年 - 1431年)は、明の皇族。趙簡王。明の第3代皇帝である永楽帝の3男。兄に朱高熾(のちの洪熙帝)と朱高煦がいる。子に朱瞻坺、朱瞻塙など。1404年に趙王に封じられるが、父から寵愛を受けていたため、北京に留まることを許された。長兄の朱高熾とは不仲で、次兄の朱高煦と仲が良かったという。このため朱高煦の朱高熾廃太子運動に協力して朱高熾を父にたびた......