朱 高煦(しゅ こうく、1380年 - 1426年)は、明の皇族。第3代皇帝・永楽帝の第2皇子。爵位は漢王。永楽帝の次男で、第4代皇帝洪熙帝の弟にあたる。武勇に優れ、風貌も父に似て長身で巨漢だったという。そのため、異民族討伐などで活躍した。1399年(建文元年)に発生した靖難の変では大将として朱棣(後の永楽帝)軍を率いた。建文帝側が優位な戦況となり諸将が講和を論じた際には、諸将を恫喝して父を鼓舞し、勝利に貢献したという。靖難の変後に朱棣が即位すると、丘福など諸将から柔弱な性格であった朱高熾を廃太子し朱高煦を立太子すべく推挙されたが、朱高煦は短気で粗暴な性格......
朱 高煦(しゅ こうく、1380年 - 1426年)は、明の皇族。第3代皇帝・永楽帝の第2皇子。爵位は漢王。永楽帝の次男で、第4代皇帝洪熙帝の弟にあたる。武勇に優れ、風貌も父に似て長身で巨漢だったという。そのため、異民族討伐などで活躍した。1399年(建文元年)に発生した靖難の変では大将として朱棣(後の永楽帝)軍を率いた。建文帝側が優位な戦況となり諸将が講和を論じた際には、諸将を......