朱能(しゅのう、1370年 - 1406年)は、明初の将軍。字は士弘。父は朱亮。子に朱勇。現在の安徽省懐遠県に生まれる。父の朱亮は洪武帝の重臣で多くの武功を挙げた人物である。父の死後、朱能は燕王に封じられた朱棣に仕え、洪武帝崩御後に発生した靖難の変では張玉らと共に、建文帝軍の李景隆や耿炳文らを破っている。1400年(建文2年)の東昌の戦いで張玉が戦死すると、朱棣を支える将軍となった。大きな存在であった張玉を失った朱棣軍は数に勝る皇帝軍に圧倒され、諸将の中には講和を唱える者も出たが、朱能は「かつて漢の劉邦は項羽に何度も負け続けたが、ただの一勝しただけで天下を......
朱能(しゅのう、1370年 - 1406年)は、明初の将軍。字は士弘。父は朱亮。子に朱勇。現在の安徽省懐遠県に生まれる。父の朱亮は洪武帝の重臣で多くの武功を挙げた人物である。父の死後、朱能は燕王に封じられた朱棣に仕え、洪武帝崩御後に発生した靖難の変では張玉らと共に、建文帝軍の李景隆や耿炳文らを破っている。1400年(建文2年)の東昌の戦いで張玉が戦死すると、朱棣を支える将軍となっ......