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本多熊太郎

推定知名度3.11%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

本多 熊太郎(ほんだ くまたろう 明治7年(1874年)12月8日 - 昭和23年(1948年)12月18日)は、明治・大正・昭和の外交官、太平洋戦争時の中華民国大使、東條内閣の外交顧問。戦後はA級戦犯として逮捕された。東京法学院(中央大学)法科在学中の明治27年(1894年)5月に外務省留学生試験合格、翌年の明治28年(1895年)8月に外務省書記生試験(専門職)に合格し、外務省入省。明治34年(1901年)、小村寿太郎外相の秘書官となり、日露戦争のポーツマス講和会議に随行。後藤新平の満鉄総裁当時、北京公使館の二等書記官となった。大正7年(1918年)、スイス公使、大正13年(1924年)からドイツ大使を務めて退任。ドイツ大使を務める間、欧州統合論の主導者クーデンホーフ=カレルギー伯と親交を結び、伯の論評を読んで報告を上げてきた外交官永富守之助(戦後自民党議員)に伯を紹介した。

過去の推移