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有賀幸作

推定知名度6.69%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

有賀 幸作(あるが こうさく、1897年(明治30年)8月21日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦大和最後の艦長として有名である。長野県南信地方に多い姓である有賀は、「ありが」ではなく「あるが」と読む例が多いが、当人は相手が聞き返すことを嫌い、ありがの読み方で通した。軍帽裏のネーム刺繍もアリガとしていた。長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)に金物商・村長、有賀作太郎の長男(惣領)として生まれる。父作太郎は、旅順攻囲戦に参加して二〇三高地戦で殊勲をあげ、功六級金鵄勲章と多額の年金を授かるにいたった勇士だったが、息子の軍人志願には反対した。有賀は活発な少年として育ち、長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を卒業。1917年(大正6年)11月24日、海軍兵学校卒(45期、順位57/88)。一つ上の先輩に中沢佑が、同期には空母瑞鶴、大鳳の艦長を務めた菊池朝三や、軍令部第一部長を務めた富岡定俊、大和の艦長を務め後に第2艦隊参謀長となる森下信衛、坊の岬沖海戦で第二水雷戦隊司令官を務めた古村啓蔵などがいる。また、父・有賀作太郎は古村の海軍兵学校入学時の保証人でもあり、海軍兵学校に入る前から交流があった。

過去の推移