有川 貞真(ありかわ さだまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。有川氏は桓武平氏頼盛流の池氏の後裔と称し、貞世の代に島津貴久に仕えたのが、薩摩国における始まりである。当初は有川氏を名乗っていたが、有川氏は伊勢国の小名であるとし、徳川家康の旗本で、縁戚関係にある伊勢貞為の許しを得て、兄の貞末共々伊勢氏を名乗るようになり、兄共々薩摩国における伊勢氏の祖となる。永禄7年(1564年)、島津義弘に従い真幸院飯野(現在の宮崎県えびの市)に入りその家老となる。同11年(1568年)1月20日、義弘に従い大口城攻めに参加、また、元亀3年(157......
有川 貞真(ありかわ さだまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。有川氏は桓武平氏頼盛流の池氏の後裔と称し、貞世の代に島津貴久に仕えたのが、薩摩国における始まりである。当初は有川氏を名乗っていたが、有川氏は伊勢国の小名であるとし、徳川家康の旗本で、縁戚関係にある伊勢貞為の許しを得て、兄の貞末共々伊勢氏を名乗るようになり、兄共々薩摩国における伊勢氏の祖となる......