智雲院(ちうんいん、生年不詳 ‐ 元和8年(1622年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性で、豊臣秀長の正室。大和国出身で法華寺の興俊尼という比丘尼であったと伝わる。名はお藤で、後に光秀尼と言われていた。父は秋篠伝左衛門。天正13年から14年ごろに秀長に嫁いだ。秀長が法華寺の尼であった、興俊尼に惚れた。子を懐妊した興俊尼は寺に留まれず、菊田邸でにて大善院(きくという説もあり)を出産。秀長は独身であったため正室に迎えた。秀長に嫁ぐ際に、還俗しお藤となる。秀長との間には1男2女を儲けた。長男・小一郎は早世し、長女は毛利秀元の正室となった大善院、次女は......
智雲院(ちうんいん、生年不詳 ‐ 元和8年(1622年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性で、豊臣秀長の正室。大和国出身で法華寺の興俊尼という比丘尼であったと伝わる。名はお藤で、後に光秀尼と言われていた。父は秋篠伝左衛門。天正13年から14年ごろに秀長に嫁いだ。秀長が法華寺の尼であった、興俊尼に惚れた。子を懐妊した興俊尼は寺に留まれず、菊田邸でにて大善院(きくという説も......