明石 則実(あかし のりざね、生年不明 - 文禄4年(1595年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。父は明石貞行とも。通称は与四郎。別名に元知、則春、全豊。左近将監。 織田氏の家臣・羽柴秀吉が播磨国に入国して姫路城主になった際、従兄弟の黒田孝高と共に秀吉に属した。 天正11年(1583年)4月の賤ヶ岳の戦いに参加し、天正13年(1585年)3月の紀州征伐では紀伊太田城攻めで功があり1万石となる。ついで四国征伐にも参加。戦後に但馬豊岡城において2万2,000石を領し、左近将監に叙任された。天正15年(1587年)の九州平定では兵800を率い......
明石 則実(あかし のりざね、生年不明 - 文禄4年(1595年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。父は明石貞行とも。通称は与四郎。別名に元知、則春、全豊。左近将監。 織田氏の家臣・羽柴秀吉が播磨国に入国して姫路城主になった際、従兄弟の黒田孝高と共に秀吉に属した。 天正11年(1583年)4月の賤ヶ岳の戦いに参加し、天正13年(1585年)3月の紀州征伐では紀伊......