日野 義資(ひのよしすけ、応永4年(1397年) - 永享6年6月9日(1434年7月15日))は室町時代の公家。藤原北家日野流の一家裏松家当主。裏松重光の三男。正三位権大納言。応永14年(1407年)11月19日、足利義満の北山第において義満自身が烏帽子親となって元服が行われ、義満は偏諱として「義」の字を与えた。これは義資が義満の正室日野康子の甥であったことによるが、武家で「義」の字を与えられていたのは斯波氏のみであり、公家に対しては摂関家の当主でさえ「満」の字しか与えられておらず、破格の厚遇であった。足利義持の死後、弟の青蓮院義円(足利義教)が後継者に......
日野 義資(ひのよしすけ、応永4年(1397年) - 永享6年6月9日(1434年7月15日))は室町時代の公家。藤原北家日野流の一家裏松家当主。裏松重光の三男。正三位権大納言。応永14年(1407年)11月19日、足利義満の北山第において義満自身が烏帽子親となって元服が行われ、義満は偏諱として「義」の字を与えた。これは義資が義満の正室日野康子の甥であったことによるが、武家で「義......