日野原 節三(ひのはら せつぞう、1903年11月3日ー1991年12月4日。1927年、東京帝国大学法学部独法科卒業。社長就任後、会社再建のために復興金融公庫から巨額の融資を受けようと考え、GHQを含む関係者に贈賄や政治献金を行った。これが国会で問題視されて、1948年に日野原は逮捕され、芦田内閣も総辞職に至った。これが「昭電疑獄」である。日野原は最高裁まで争ったが、1962年に懲役1年・執行猶予5年の判決を受けた。昭和電工社長退任後は八幡鉱業の社長や会長などを務めた。
日野原 節三(ひのはら せつぞう、1903年11月3日ー1991年12月4日。1927年、東京帝国大学法学部独法科卒業。社長就任後、会社再建のために復興金融公庫から巨額の融資を受けようと考え、GHQを含む関係者に贈賄や政治献金を行った。これが国会で問題視されて、1948年に日野原は逮捕され、芦田内閣も総辞職に至った。これが「昭電疑獄」である。日野原は最高裁まで争ったが、1962年......