日蘭追加条約(にちらんついかじょうやく)とは、安政4年8月29日(1857年10月16日)に日本(江戸幕府)とオランダの間で締結された条約のこと。日蘭和親条約締結後、オランダ商館長であったヤン・ドンケル・クルティウスがオランダの外交代表を兼務していたが、アメリカのタウンゼント・ハリスが和親条約よりも充実した内容の日米追加条約を結んだことを知って、オランダとも同様の条約の締結を求めた。これを受けて安政4年8月29日、長崎において日本側全権水野忠徳・荒尾成允・岩瀬忠震との間に40ヶ条からなる新条約を締結、付属文書として談判添書と公文を付した。これが日蘭追加条約......
日蘭追加条約(にちらんついかじょうやく)とは、安政4年8月29日(1857年10月16日)に日本(江戸幕府)とオランダの間で締結された条約のこと。日蘭和親条約締結後、オランダ商館長であったヤン・ドンケル・クルティウスがオランダの外交代表を兼務していたが、アメリカのタウンゼント・ハリスが和親条約よりも充実した内容の日米追加条約を結んだことを知って、オランダとも同様の条約の締結を求め......