日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)は、1876年(明治9年、時憲暦光緒2年=高宗13年)に日本と李氏朝鮮との間で締結された条約とそれに付随した諸協定を含めて指す。条約正文では「修好条規」とのみ記されているが通例として朝鮮國との修好条規、日朝修好条規、日鮮修好条規などと呼称する。江華島で調印されたため江華(島)条約(강화도조약)とも、丙子の年に結ばれたために丙子修交条約ともいう。当時東アジアで結ばれた多くの条約と同様、不平等条約であった。
日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)は、1876年(明治9年、時憲暦光緒2年=高宗13年)に日本と李氏朝鮮との間で締結された条約とそれに付随した諸協定を含めて指す。条約正文では「修好条規」とのみ記されているが通例として朝鮮國との修好条規、日朝修好条規、日鮮修好条規などと呼称する。江華島で調印されたため江華(島)条約(강화도조약)とも、丙子の年に結ばれたために丙子修交条約と......