画像引用元: 1st.geocities.jp摂津晴門
推定知名度0.13%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
摂津 晴門(せっつ はるかど、生没年不詳)は、室町幕府の幕臣。第12代将軍・足利義晴より偏諱を受け晴直(はるなお)、のち晴門を名乗る。義晴の子である第13代将軍・足利義輝と第15代将軍・足利義昭の兄弟に家臣として仕える。鎌倉幕府の時代からその崩壊後、さらに南北朝時代を経て室町幕府にも参画していた中原氏の一族であり、元は摂津守に叙任されていたことから氏族の名を摂津へと改めた摂津氏末裔の一人である。13代将軍・足利義輝は義理の従兄弟に当たり、永禄7年(1564年)には敵対していた政所執事の伊勢貞孝に代わって、新たな政所執事として起用される。だが、その翌年には永禄の変が起こり、二条御所にて義輝以下数十名の家臣が殺害される。また、この永禄の変で嫡子である糸千代丸も死亡している。変後も摂津氏が世襲していた官途奉行の地位は安堵されていたとみられるが、三好氏らが推す次期将軍候補であった足利義栄が伊勢貞為(貞孝の孫)の出仕を認めた事に反発し、永禄9年(1566年)5月以降京都を離れる。永禄11年(1568年)2月にあった足利義栄への将軍宣下に際しては出席を拒み、同月に行われた義輝の弟である足利義昭の元服の奉行を務めていることから、この時には義昭に従っていたとみられる。
過去の推移
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