成田 正等(なりた しょうとう、応永30年(1423年)?-文明14年4月17日(1482年5月4日))は、室町時代後期の武蔵国の国人領主。成田顕泰の養父で出家後に法号「正等」と名乗り、号を自耕斎(じこうさい)とする。受領名は左衛門尉後に下総守。「文明明応年間関東禅林詩文等抄録」掲載の「自耕斎詩軸并序」にのみ見える人物。「成田系図」にみえる顕泰の父・資員とみなす見解もある。成田氏は関東管領上杉氏の支配下にあったが、享徳の乱において正等は途中から古河公方足利成氏に寝返って、上杉氏と戦った。その際に拠点として築かれたのが忍城とされている。この忍城の築城年代と築......
成田 正等(なりた しょうとう、応永30年(1423年)?-文明14年4月17日(1482年5月4日))は、室町時代後期の武蔵国の国人領主。成田顕泰の養父で出家後に法号「正等」と名乗り、号を自耕斎(じこうさい)とする。受領名は左衛門尉後に下総守。「文明明応年間関東禅林詩文等抄録」掲載の「自耕斎詩軸并序」にのみ見える人物。「成田系図」にみえる顕泰の父・資員とみなす見解もある。成田氏......