志賀 親度(しが ちかのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友氏の家臣。北志賀家・志賀親守の子。志賀氏は、田原氏、詫摩氏と並ぶ大友三家の一角である。のちに北志賀家と南志賀家に分かれ、それぞれ隆盛した。天文19年(1550年)、二階崩れの変後、父と共に大友義鎮(宗麟)の家督相続に尽力した。その後、父から若くして家督を譲られ、永禄年間から元亀年間において加判衆を務めた。しかし天正6年(1577年)、宗麟の後を継いだ義統と不仲になって対立し、父と共に殺されそうになったが、宗麟の仲介で免れた。これに恨みを抱いた親度は、薩摩国の島津義久と密かに通じた入......
志賀 親度(しが ちかのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友氏の家臣。北志賀家・志賀親守の子。志賀氏は、田原氏、詫摩氏と並ぶ大友三家の一角である。のちに北志賀家と南志賀家に分かれ、それぞれ隆盛した。天文19年(1550年)、二階崩れの変後、父と共に大友義鎮(宗麟)の家督相続に尽力した。その後、父から若くして家督を譲られ、永禄年間から元亀年間において加判衆を務めた。......