徐 用儀(じょ ようぎ、''Xu Yongyi''、1826年 - 1900年)、字は吉甫または筱雲、清末の官僚。浙江省海塩県出身。1859年、郷試に合格。その後、工部侍郎・総理各国事務衙門大臣・兵部侍郎・吏部侍郎などの職を歴任し、軍機大臣に昇進。1894年には太子少保を加えられた。1894年、日清戦争の直前に主戦派と和平派の間で論争がおこったが、和平派の徐用儀は主戦派の翁同龢と衝突して解任された。1898年、戊戌の政変で西太后が再び政権を握ると、徐用儀も復職した。徐用儀は袁昶と許景澄を推薦し、両名は総理各国事務衙門大臣に任命された。1899年には徐用儀は......
徐 用儀(じょ ようぎ、''Xu Yongyi''、1826年 - 1900年)、字は吉甫または筱雲、清末の官僚。浙江省海塩県出身。1859年、郷試に合格。その後、工部侍郎・総理各国事務衙門大臣・兵部侍郎・吏部侍郎などの職を歴任し、軍機大臣に昇進。1894年には太子少保を加えられた。1894年、日清戦争の直前に主戦派と和平派の間で論争がおこったが、和平派の徐用儀は主戦派の翁同龢と......