張 滋昉(ちょう じほう、Zhāng Zīfǎng、道光19年(1839年)11月 - 光緒26年(1900年)11月21日)は明治時代の中国語教師。諱は景栻。字は袖海。別号に鼑昉?、匏翁。北京出身で、上海で訪中中の副島種臣と知り合い渡日、興亜会興亜黌、慶應義塾大学付属支那語科、旧制東京外国語学校、東京帝国大学等で中国語を教えたが、日中関係悪化や中風により不遇な晩年を過ごした。
張 滋昉(ちょう じほう、Zhāng Zīfǎng、道光19年(1839年)11月 - 光緒26年(1900年)11月21日)は明治時代の中国語教師。諱は景栻。字は袖海。別号に鼑昉?、匏翁。北京出身で、上海で訪中中の副島種臣と知り合い渡日、興亜会興亜黌、慶應義塾大学付属支那語科、旧制東京外国語学校、東京帝国大学等で中国語を教えたが、日中関係悪化や中風により不遇な晩年を過ごした。