張 済(ちょう さい / ちょう せい、生没年不詳)は、後漢末期の政治家。字は元江。張耳の末裔で、後漢初期の名臣張充の6世の孫、光禄勲・張酺(字は孟侯)の曾孫に当たる。張蕃の孫、張磐の子。張喜の兄。張根の父。汝南郡蔡陽県(細陽県)の人。光和年間に司空(三公の一つ)を務めた。前任は袁逢、後任は張温である。若いころは楊賜に推挙され、徐々に昇進した。儒学を好んだが、病により司空を辞し、霊帝の在世時に没した。死後に車騎将軍・関内侯を贈られた。子の張根は蔡陽郷侯に封じられ、弟の張喜は兄同様に司空に任じられた。
張 済(ちょう さい / ちょう せい、生没年不詳)は、後漢末期の政治家。字は元江。張耳の末裔で、後漢初期の名臣張充の6世の孫、光禄勲・張酺(字は孟侯)の曾孫に当たる。張蕃の孫、張磐の子。張喜の兄。張根の父。汝南郡蔡陽県(細陽県)の人。光和年間に司空(三公の一つ)を務めた。前任は袁逢、後任は張温である。若いころは楊賜に推挙され、徐々に昇進した。儒学を好んだが、病により司空を辞し、......