張 曼成(ちょう まんせい、? - 184年)は、中国後漢末期の人物。黄巾党の指導者の一人。南陽黄巾軍の指導者で張角に呼応した。184年、太平道大方(黄巾軍の総司令官)の馬元義が朝廷軍に捕らえられ処刑されると、張曼成は南陽で民衆を集め挙兵した。同年春3月に南陽太守褚貢を攻め殺した後、宛県城を拠点とした。しかし、同年夏6月に後任の南陽太守秦頡の軍勢に破れ、捕らえられて処刑された。
張 曼成(ちょう まんせい、? - 184年)は、中国後漢末期の人物。黄巾党の指導者の一人。南陽黄巾軍の指導者で張角に呼応した。184年、太平道大方(黄巾軍の総司令官)の馬元義が朝廷軍に捕らえられ処刑されると、張曼成は南陽で民衆を集め挙兵した。同年春3月に南陽太守褚貢を攻め殺した後、宛県城を拠点とした。しかし、同年夏6月に後任の南陽太守秦頡の軍勢に破れ、捕らえられて処刑された。