張 休(ちょう きゅう、205年 - 245年)は、中国三国時代の人物。呉に仕えた。字は叔嗣。父は張昭。兄は張承。『三国志』「張昭伝」に付伝されている。若くして孫権に仕えた。張休が20歳頃の時、孫権が呉王になったため、その太子となった孫登の側近として、諸葛恪・顧譚・陳表と共に採り立てられた(孫権が即位し、孫登が皇太子になると、彼等4人は太子四友と呼ばれた(「呉主五子伝」)。)。張休は父から『漢書』の講義を受けていたため、孫権に見込まれて孫登に『漢書」を講義するよう要請された。『呉書』によると、張休の発言が全て筋道立っていたため、孫登は張休に対して君臣の礼を......
張 休(ちょう きゅう、205年 - 245年)は、中国三国時代の人物。呉に仕えた。字は叔嗣。父は張昭。兄は張承。『三国志』「張昭伝」に付伝されている。若くして孫権に仕えた。張休が20歳頃の時、孫権が呉王になったため、その太子となった孫登の側近として、諸葛恪・顧譚・陳表と共に採り立てられた(孫権が即位し、孫登が皇太子になると、彼等4人は太子四友と呼ばれた(「呉主五子伝」)。)。張......