広済寺(こうさいじ)は、鹿児島県日置市伊集院町にかつて存在した臨済宗の寺院である。山号は、「泰定山」。応永5年、伊集院忠国の子息・南仲景周によって建立され、京都南禅寺の直末寺という高い寺格を誇った。『伊集院由緒記』と言う史料によれば旧名「円勝寺」といい別の場所から移転したとされる。「学問寺」として有名であった。鹿児島県内は島津氏が帰依した曹洞宗の寺院が多かったが、南薩にはこの広済寺の末寺となった臨済宗の寺も多かった。しかし明治2年の廃仏毀釈により廃寺となり、跡地は墓地となった。墓地には海軍中将有馬正文の墓がある。
広済寺(こうさいじ)は、鹿児島県日置市伊集院町にかつて存在した臨済宗の寺院である。山号は、「泰定山」。応永5年、伊集院忠国の子息・南仲景周によって建立され、京都南禅寺の直末寺という高い寺格を誇った。『伊集院由緒記』と言う史料によれば旧名「円勝寺」といい別の場所から移転したとされる。「学問寺」として有名であった。鹿児島県内は島津氏が帰依した曹洞宗の寺院が多かったが、南薩にはこの広済......